天送美術館を創業するにあたって

豪快なコンバインの音とともに、籾だけを残し、稲穂が刈り取られていく。豊かに実った田園風景が一転して稲わらに埋め尽くされる9月ごろ、「芭蕉祭」は開催される。
不世出の俳諧師、松尾芭蕉は29歳までこの地、伊賀市で生を過ごしたと言われています。

俳句。それは私の追憶のもっとも底にある、質量を持った芸術です。

 

祖父は、私が高校生のころに亡くなりました。
彼は80歳を超えてから、重度のアルコール中毒により満足に歩けない状態でしたが、毎日クダをまきに、病院や郵便局に遊びに出かける「徘徊師」でありました。

そんな祖父がこよなく愛していたのが俳句。

毎日俳句を書いては捨て、納得のいく句ができると、彫刻刀でガリッと小気味の良い音を立てながら瓦に句を一文字ずつ丁寧に彫り、色を付けていきます。
完成した作品は、家や庭にかざるのはもちろんですが、ガハハと笑いながら隣人の家の前に石碑として設置することもありました。

しかしそれらは当時高校生の私にとっては無用の長物。積み上がる石碑を眺めては、心の中で冷笑を投げかけていました。

 

それから15年、実家が引っ越すことに。

 

手伝いに足を運んでみると、長年積み上げられた家財道具であふれかえっていました。
私が最も選別に迷ったもの。
それこそが、祖父の「遺作」たち。
指で文字をなぞった瞬間、不思議と感情が溢れ出しました。
子供の頃は「絶対に捨ててやるんだ」と笑いながら家族と話したはずなのに。

 やがて心の中で、祖父と会話を始めました。ーーーどうしてほしい?

 新たな生活を迎えるのに、祖父の遺作を置いておく場所はありません。悩みに悩んだ結果、その全ての作品を、一つずつ写真に収め、引き取り手がいないものはやむを得ず廃棄することにしました。
そして写真を撮ろうとシャッターに指をかけたその時、確かに祖父の声が聞こえたのです。

「ようやく理解したのか。いい句だろう。ーーー」

芸術的な価値は、ないかもしれない。
それでも、あの時じいちゃんが伝えたかった想いを、一人でも多くの人に知ってもらえないだろうか。鼓動が高鳴るのを感じました。

時々、祖父のことを思い出します。
「後悔」というほど大げさなものではなく、思い出すたびに心に刺さった小さなトゲが少しだけ動く、そんな感覚。
あの俳句を嗜む祖父の姿が目に焼き付いてから十数年。私にも家族ができました。
孫と手をつなぐ両親の姿は、自分の大好きな祖父の姿と重なって見えるのです。

 

名も知らぬ

武人の墓に

落ち椿

 

これが生前、祖父が最も自慢げにしていた「遺作」。
私の心の中では、何一つ変わらず隣人の家の前で時間をたたえています。

 

館長

増井 義明